【天気の子】須賀明日花と陽菜の母親が「天気の巫女」だったかについての考察
https://publicdomainq.net/flower-rain-0014633/ より (フリー画像)
皆さんこんにちは。
今回の記事では、映画『天気の子』に登場する須賀圭介の妻 明日花と、ヒロインである陽菜の母親が「天気の巫女」だったかについて考察していきたいと思います。
・明日花が天気の巫女であったという説について
まず私の結論から述べることにします。
明日花が天気の巫女と一般人のどちらかといいますと、私は一般人だと思います。
後で考察しますけれども、明日花だけでなく陽菜の母親も天気の巫女なのではないかという説もあるのです。明日花と陽菜の母親、どちらがより天気の巫女の可能性として高いかを考えてみますと、やはり陽菜の母親の方が可能性としては高いと思うのです。なぜなら正真正銘の「天気の巫女」である陽菜の母親ですし、作中で重要アイテムと見なされることもあるチョーカーの元持ち主でもありますからね。仮に陽菜の母親も明日花も天気の巫女だったとすると、本作では3人も天気の巫女がいるということになってしまい、これはさすがに多すぎると私は思うのです。(つまるところこれといった根拠はないのですが…。)
さて私とは反対に、明日花を天気の巫女だと考える方が挙げられているその理由としては、複数の様々な記事を読ませて頂いたところ、下記の記事のような主に以下の7つの理由にまとめられそうだと思いました。
https://wonderfulnomadolife.com/movie/4669 (現在閲覧不可)
1.須賀が涙していた
2.明日花の死因が特定していない
3.萌花の親権が須賀にないこと
4.萌花が雨の日にぜんそくの発作を起こすこと
5.帆高が向かった廃ビルに来れたこと
6.100%晴れ女は須賀から提案されたこと
7.帆高と重なる部分が多い
この7つの理由について批判的に検討しつつ、私なりの考察を述べていきたいと思います。
1. 須賀が涙していた
最もよく見られたのがこの理由です。
小説238ページ。事務所を訪れに来た安井刑事との会話中、須賀が「全てを放り投げてまで会いたい人」を自らに問い、無意識のうちに涙を流してしまう場面です。
この主張は、須賀と帆高の類似性から考えてみると、須賀が明日花を死なせてしまったのは、帆高が巫女である陽菜を死なせてしまったことと対応しているため、明日花も天気の巫女だったのではないかと考える主張です。
私としては、この2組は「大切な人を見失ってしまったこと」は確かに共通点として挙げられますが、天に召されたこと……、つまり「死因」まで共通なのかは分かりません。
そういうわけで、死因がカギになってきそうです。次に続きます。
2. 明日花の死因が特定していないこと
次に死因についてなのですが、正直こちらもはっきりしたことは分かりません。何しろどこにも書いてありませんので(苦笑)
明日花を天気の巫女とする説の意見としては、天気の巫女の人柱となったため、遺体が見つかっていないのではないか、といったようです。
ですが、少し手がかりになりそうな箇所があるんですよ。
小説の159ページ目。芝公園にて、陽菜と夏美が初めて会って会話するシーンです。
「ハンドルを切るように私は笑う。」
話題を変えることの比喩表現に、なぜ、わざわざ「ハンドルを切るように」という表現が使われているのでしょうか? 「私は思わず言葉を濁してしまう」といった別の表現でもいいはずです。それも、明日花が亡くなったことを話しているこの場面でー。
「ハンドルを切る」という行為は、もちろん「車を運転している」状況を連想させますよね。
夏美はハンドルを切るように話題を変えた。でも、明日花はハンドルを切りきれなかった……。
そういう対比を、暗示させている表現だと捉えることはできないでしょうか。
この箇所に言及しているブログ記事を私はまだ見たことがありません。
おそらく私が第一発見者かと思われます。(もし先に発見されていた方がおりましたらすみません。)
どうしても推測にはなってしまいますが。以上のことから、
「明日花は天気の巫女ではなく一般人で、死因は交通事故死」
というのが私の見解です。
(ちなみにですが「天気の巫女だったから突然消えた」「一般人だったから交通事故死した」と短絡的に考えるのは避けたいところですね。本人が巫女だったかと死因は別モノ。巫女とはいえど物質的な肉体を持った生身の人間なので、「巫女だったけれど交通事故死した」ということもあり得るはずです。ここは注意しておきたいところでしょう。)
3. 萌花の親権が須賀にないこと
萌花の親権は須賀になく、明日花の母である間宮夫人が持っています。
明日花を天気の巫女とする説の意見としては、須賀が娘の親権を奪われたのは、明日花は須賀に愛想をつかしたのだろうと間宮夫人が考えたため、といったもののようです。
これについても、明確な根拠はありません。
ただし、『君の名は。』の外伝小説であるAnother Side Earthbound の、
p226~229、p251~257の部分は参考になると思います。何しろ明日花・圭介・間宮夫人……、妻・夫・義母の三者の関係は、前作『君の名は。』の二葉・俊樹・一葉の三者の関係、すなわち両家の反対を押し切った大恋愛の末 結ばれ、妻に先立たれ、残された夫と義母が対立するという点で、非常に似た設定になっているからです。
ただし両家の喧嘩になるような大恋愛の末に結ばれた二人なので、明日花が須賀に愛想をつかすなど考えられないのですが、間宮夫人がそう考えていたかについては、まぁ間宮夫人に直接訊いてみるしかないわけです。
4. 萌花が雨の日にぜんそくの発作を起こすこと
明日花を天気の巫女とする説の意見としては、明日花が天気の巫女であったからこのような症状を持ったのでは? もしくは、萌花の喘息を治すために人柱になったのでは?
といったもののようです。
これは陽菜と比較してみると割と否定的な見解になりますね。この疑問の通り娘の喘息を治すために人柱になったということは、人柱として死ぬということを知り覚悟したうえで人柱になったということですよね。でも陽菜の場合、自身が人柱であるということでさえ、夏美に教えられるまでは知らなかったですよね。つまり自分自身が人柱であるということは、自身が人柱であることが定まっていたとしても、普通は知りえないことなのです。(普通、というのは神様から告げられて知る場合があるからです。アニメだとよくあるでしょう? 神様のお告げシーンが。)
これはですね、いや喘息も大変な症状であることは私も知っていますけれども、娘の生死がかかっているならともかく、そこに自身の死を犠牲にするというというのはどうしても考えにくいのです。萌花にとってもまだ母親からの養育・保護が必要な年齢ですからね。娘の喘息を治すために人柱になったというのは、やはり考えにくいです。
5. 帆高が向かった廃ビルに来れたこと
明日花を天気の巫女とする説の意見としては、須賀が警察よりも早く廃ビルに来れたのは、その屋上にある、天気の巫女と関係する神社を知っていたのでは? といったもののようです。
この仮説だけは明確に間違いであると断言できますね。なぜなら劇場版パンフレット質問で以下のように答えられているからです。
つまり、須賀は屋上にある神社など知ってなどおらず、スマホを通して帆高の現在位置を見ることができたから、警察よりも早く廃ビルに来れたということですね。
明日花が天気の巫女であったかもしれないという可能性を間接的に否定できるのです。
6.100%晴れ女は須賀から提案された
これは、明日花が巫女として亡くなったと仮定すると、須賀がオカルト雑誌の取材テーマとしてために100%の晴れ女を提案したのは、自分の妻の死因を調べるためだったのではないかという主張です。
これは「なぜ須賀が神津島経由のフェリーに乗っていたのか」という疑問にも関わってきます。
しかし須賀が明日花を亡くしたのは三年前。この頃はまだ天気は正常でした。須賀が俊樹のように妻を亡くして打ちひしがれていたとしても(おそらくそうであっただろう)、本当に天気の巫女だとしたらその死因(消えた理由)を探しにそのときに旅に出ていたのではないでしょうか。
それに小説45ページでは、100%の晴れ女を取材テーマとして選定した理由が書かれています。
「とにかく人に会って目撃談や体験談を聞いて、記事にすりゃいいんだ。・・・ジャンルは何でもいいからさあ。・・・身近なとこで、これなんかどう? ネットで噂の『100%の晴れ女』・・・このところずっと雨続きだからな。連続降水日数更新とかテレビで言ってたし。だからまあ需要あるだろ、な?」
需要という理由が本当はタテマエなのかは分かりませんが、直接的な、第一の理由としては「世間の需要に即したもの」だと書いてあります。
また、須賀は晴れ女の記事を一度ボツにすらしているのです。(小説140ページ)
「うさんくさ・・・と思わず俺は呟く。オカルト誌の記事にはふさわしいが、「噂の晴れ女を追う! 異常気象はガイアの意志だ」の企画は既に没になっているのだ。俺はまだそれを夏美に言えていない。」
まぁ、須賀は明日花の本当の死因は旅で知ったものの、それを自身の心の内に留め、公に出すのをやめたという可能性はあります。いずれにせよ没にした須賀の真相は判りませんが。
よって須賀の旅が自分の妻の死因を調べるためだったというのは考えにくいと私は思います。
7.帆高と重なる部分が多い
これは須賀と帆高が似た設定であることを受けた主張ですね。つまり帆高の恋人(?)である陽菜が天気の巫女なので、須賀の妻である明日花も天気の巫女なのではないかという対応関係に着目した推測ですね。
批判的に言ってしまえば、いささか短絡的な推測だとは思います。そうとは限らないだろうと。
これについては冒頭に述べたように、仮に陽菜の母親も明日花も天気の巫女だったとすると、本作では3人も天気の巫女がいるということになってしまい、これはさすがに多すぎるのでないかという主張を私は挙げておきたいと思います。
+α、その他の主張
αー1 オカルト的
https://note.com/ukyonagata/n/ne119c5e892c8 (現在閲覧不可)
αー2 ムーの記載
https://hitori-kurashi.com/tenkinoko/ (現在閲覧不可)
こちらの記事でも明日花は天気の巫女だったとされておりその理由として「陽菜の母親と同様に現代にしては短命すぎるという事に違和感を感じたから」と述べられていますが、これは2でも見たように明日花が何であれ「事故死」したことを見落としている点で否定します。
ただしこのムーの記載は私も気付いていませんでしたし、興味深いものがあります。
私は「大量の人柱」とは天気の巫女が多数いる事を意味する、と思います。
神主「人の切なる願いを受け止め、空に届けることのできる特別な人間。昔はどの村にもどの国にも、そういう存在がおったのだ。」(小説142ページ)
占い師「今は天の気のバランスが崩れているから、晴れ女や雨女が生まれやすいの。」(小説48ページ)
晴れ女陽菜のことはメディアにも取り上げられネット上でも伝説になりつつありましたから(小説121ページ)、他の「晴れ女」たちも陽菜の存在を知っていたかもしれません。まぁ物語を複雑にしてしまうので当然 端折られているわけですが、二次創作の肴にはできそうかもしれませんね(笑)
ちなみにですが帆高も鳥居をくぐったことから雨男になったのではという説もあります。
α-3 記憶が消える?
https://dorama9.com/tenkinoko-suga/
こちらの記事では、『君の名は。』のように、「天気の巫女」の運命「人柱」を全うしたときには、「秘密」を知っていた者の記憶が消えるという大胆な仮説を紹介されています。
この発想は面白いのですけれど、4.で紹介しました喘息の件(陽菜の場合、自身が人柱であるということでさえ夏美に教えられるまでは知らなかった。つまり自分自身が人柱であるということは、自身が人柱であることが定まっていたとしても、普通は知りえないことなので、神様からのお告げがない限り、明日花は自分の「秘密」さえ知ることはなかったと考えられる。すなわち、そもそも自分自身でさえ「秘密」を知ることがないということ。)で否定できてしまいます。
まとめると
1.須賀が涙していた→一応否定可能
2.明日花の死因が特定していない→有力と思われる否定を発見。
3.萌花の親権が須賀にないこと→一応否定可能
4.萌花が雨の日にぜんそくの発作を起こすこと→有力な否定👌
5.帆高が向かった廃ビルに来れたこと→完全に否定可能👌
6.100%晴れ女は須賀から提案されたこと→否定可能
7.帆高と重なる部分が多い→否定は一応可能
という感じで、明日花が天気の巫女だったという説は概ね否定されるものになります。
・陽菜の母親が天気の巫女であった説について
今度は、陽菜の母親が天気の巫女であったかどうかについて考察していきます。
結論から言いますと。
陽菜の母親は、「天気の巫女」だった……と私は思います。
でもちょっと待ってください。確かに天気の巫女だったと思ってはいるのですが、「完全な」天気の巫女だとは思っていないんです。
どういうことかと言いますと。たとえば0から100までの「天気の巫女度」というものを考えます。0が巫女の力など持っていない状態で、100が天気の巫女でその力を十分に発揮している状態です。この尺度を用いるならば、陽菜の母親はだいたい25くらいかなと思っているのです。言わば「隠れ天気の巫女」といった感じです。
どういうことなのか具体的に解説していきます。
パンフレットにはこのようなQ&Aがあります。
陽菜が「天気の巫女」になったのは、「神さまと偶然 眼が合ったこと」と、「母系の素質があった」ことだと。(☆マークの箇所)
つまり「天気の巫女」の力は、『君の名は。』の「夢」を見る能力と同じく母系遺伝する能力ということなので、陽菜の母親がいくらかの巫女の力を持っているというのは確実に言えるでしょう。(「母系の素質があった」ということは、ご先祖さまには「正真正銘の」天気の巫女がいた可能性は高いでしょうね。)
私はこの「血筋」は巫女になるための必要要件だと思います。
そしてもう一つの「神さまと眼が合うこと」が偶然性をもった要素であることが重要だと思うのです。すなわち陽菜は神さまと眼が合ったことがあるのは確実なのですが、陽菜の母親は神さまと眼が合ったことがあるかは判りません。個人的には神さまと眼が合ったことはなかったと思います。だから陽菜の母親は血筋という片方のみの条件を満たした「隠れ天気の巫女」と考えられるわけです。陽菜の「お天気ビジネス」のように、ド派手に天気を晴れにすることはなかったでしょうからね。
ここで、陽菜の母親の死因に着目して、「じゃあ陽菜の母親が若くして亡くなったのはなぜなのか。巫女の力を使って衰弱したのではないか」という意見がおありの方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、陽菜が事実上「死んだ」ときのことを思い出してください。陽菜は、病室で横たわる母親と異なり、天に召される、すなわち死ぬというよりは姿が消える、といった死でした。また、母親と異なり人口呼吸マスクや点滴などの治療も受けていません。
このように陽菜とその母親とでは亡くなり方が全く異なります。よって、陽菜の母親が若くして亡くなったのは、巫女の力を使って衰弱したのではなく、先天的な体質の問題や、幼子二人を生計を立てながら一人で育てるという過労によるものかと私は思います。
なお、天気の巫女として力を発揮する必要要件、あるいは力の増幅材となるものはそれぞれ何が考えられるのかという疑問が湧いてくるのですが、
それらがどのような効果をもたらしているのか、ここで書いてしまうと長くなってしまいますので、また別記事にて「天気の巫女度」を用いつつ考察していくつもりです。
陽菜の母親は一度も巫女の力を使うことなく死去。しかし母系遺伝する能力を持つ血筋だったので潜在的な力はあった。そういうわけで私は陽菜の母親を「隠れ天気の巫女」と呼びたいのです。
話しを「天気の巫女度」に戻しますが、陽菜は「100%の晴れ女」と呼ばれていますよね。これはもちろん「100%の確率で天気を晴れにできる(確実に晴れにできる)」という意味だとは私も分かっていますが、別として「巫女の力を100%発揮している」という意味も持ち合わせていると捉えられなくはないですよね。
この天気の巫女度というのは筆者独自の考えです。他のブログ記事では見たことがありません。有ると無しの二分法は物事を単純化でき分かりやすくしてくれますが、往々にして物事というのは複雑で、二分法ではかえって本当の真実を見い出せなくなってしまうことがあります。細かい尺度を設定することにより巫女の力の発揮度合いを段階的に分析することが可能となり、合理的な考察を行うことができます。
天気の巫女だった、天気の巫女ではなかった、という簡単な二分法では、この問題は説明できないのです。
よって筆者の結論を簡潔にまとめて述べるならば、
明日花……「0%の晴れ女」
陽菜の母親……「25%の晴れ女」
陽菜……「100%の晴れ女」
といったところでしょうか。
いかがでしたでしょうか。
もしよければコメントなどお気軽にお寄せくださいね。
ご覧いただきありがとうございました。また次の記事でお会いしましょう。
今日、2021年8月22日は、陽菜の誕生日。そして、帆高が陽菜を天から連れ戻した日…。