『すずめの戸締まり』特報 から明らかになった気付きや疑問まとめ
皆さんこんにちは。
この記事は、2022年4月10日に公開された『すずめの戸締まり』の特報動画から明らかになった事柄について、私なりの気付きや疑問をまとめた記事になります。
↓ 特報動画はコチラ
全体:とある町での旅人の青年との出会い~初回の災禍まで。すなわち映画の冒頭が特報として使われている。『天気の子』の特報のときも冒頭部分が使われていた。口ずさむようなバックミュージックは作品全体の雰囲気を象徴している。
0:00~0:13
とある町、旅人の青年との出会い
青年はロン毛。共にお互い赤の他人同士なのに、鈴芽のみ青年の方を振り返る。鈴芽は過去にこの青年を見たことがある/知っているのだろうか。単に、思わず振り返ってしまうような特徴があったのだろうか。
0:14~
誰もいない町。鈴芽は廃墟となった人気(ひとけ)のない町に一人で遊びに来たのだろうか?だから人気のないはずの町で人(旅人の青年)を見つけたことに驚いて振り向いたのだろうか。
0:15
不思議な猫は飼い猫なのか野良猫なのか。町が廃墟だとすると野良猫なのだが、傍に皿が置いてあるので飼い猫なのだろうか。なお出窓と右奥に木の茂みが見えることから2階と思われる。
0:18
鈴芽がドアノブを握る描写。初回の扉開けと思われる。ここの描写は本来0:26に該当する描写であるが、前倒しでこの場所に挿入されている。
0:19
部屋の描写。これは鈴芽の実家なのだろうか? 鈴芽が幼少期過ごした町が過疎化によって衰退したため移住し、久しぶりの実家を見に来た、と私は考えたいが、そうすると画面左上にある「だいじ缶」の傍らに看護師関連の本が置いてあることから、この描写からそのように考えることはできない。この家の描写は一体どこなのか。
画面中央には壊れかけのイス。0:29、0:32で登場するイスと同じものと思われる。
画面右上にあるスケジュール帳の2023という西暦。天気の子での主な出来事が2021年夏、天気の子ラストの帆高と陽菜の再会が2024年春より、両者の間の時期設定である。なお瀧と三葉は須賀神社での再会が2022年春であることから、再会から1年半 経った時期にあたる。
画面右下には岡村真一という架空の人物による「君とコスモス」という小説(あるいは漫画)が置いてある。LUNKHEADというバンドからマイナーではあるが同タイトルの曲が出ている。また、中年層には割と有名らしい『伝説巨神イデオン』というアニメのエンディングテーマに「コスモスに君と」という曲がある。このような小物に深い意味はないと思われるが、鈴芽の部屋に置いてある物という点で着目したい。
0:22
鍵を使って物を開けるシーンが二連。本作における、鍵を使って物を開けることの重要性を強調している。
0:26
扉の前に一人立つ鈴芽。旅人の青年はいない。よく見てみると建物の壁跡(正確には布基礎 跡)が見えるため、この扉はただの扉単体ではなく、建物の遺跡ということが判る。
布基礎の画像
参照:http://www.toyo-t.jp/html/02.html
そうだとすると、このかつて存在していた建物は何なのか。鈴芽の「かつて」の実家か、それとも名も無きただの建物か。
0:27~0:28
鈴芽の眼の色が変わる。おそらく扉を開けた描写。
0:28~0:33
扉の向こうでの鈴芽。バックミュージックも変化していることから分かる。
0:29
場所的に扉の位置からまだあまり離れていないこのときはイスを持っていない。
0:30
しかしこのときにはイスを持っている。0:29からの間にイスを持ったと考えられる。すなわち、扉の向こうの世界は元の世界(現実世界)と物的証拠も対称なパラレルワールドなのか。それともこのイスが訳ありの特殊物なのか。
0:31
手に持っている紐は何なのだろうか。
注目すべきは、鈴芽が滑った際の土けむりと思われるものが液体状である点。「扉の向こうの世界」は外見は「元の世界」と瓜二つ、しかし材質が「元の世界」と異なるのか。 なお定礎の下に昭和66年6月とあるが、現実世界では昭和は64年1月までである。
0:32
空からイスが落ちてくる。現実世界では有り得ないこの描写には、0:29と0:30の描写の謎を解くための重要な示唆を含んでいる。ここの描写だけでは家が2階建てかは判らないので、0:15の家と同一の家とはまだ判断できない。
0:34
扉を塞ごうと懸命な鈴芽。その扉に寄りかかりながら塞いでいる人影(旅人の青年か)。
0:36
旅人の青年による扉締め
鍵は扉のドアノブ部分で使われるものではないことが判った。ただし、0:17の描写で判るようにこのドアノブには鍵を挿入する部分が無かっただけなので、全ての鍵が扉のドアノブ部分で使われるものではないとは言えない。
鍵は「ただの鍵」ではなく「マジカルな鍵」であることが判った。
総括:時系列順と思われるので、作品の冒頭部分の予想はしやすい。
・今回で明らかになったこと まとめ
Ⅰ. 旅人の青年はロン毛。
Ⅱ. 不思議な猫が登場する。
Ⅲ. 鈴芽の過去と関係のありそうなイスが登場する。
Ⅳ. 作品の時期設定は2023年秋である。
Ⅴ. 鈴芽が一人立つ扉の下には、よく見てみると建物の壁跡(正確には布基礎 跡)が見えるため、この扉はただの扉単体ではなく、建物の遺跡ということが判る。
Ⅵ. 空からイスが落ちてくるという現実世界では有り得ない描写がある。
Ⅶ. 鍵は扉のドアノブ部分で使われるものではないことが判った。
Ⅷ. 鍵は「ただの鍵」ではなく「マジカルな鍵」であることが判った。
・今回ではまだ明らかにできない疑問まとめ
Ⅰ. 鈴芽は過去にこの青年を見たことがある/知っているのだろうか。単に、思わず振り返ってしまうような特徴があったのだろうか。
Ⅱ. 鈴芽は廃墟となった人気(ひとけ)のない町に一人で遊びに来たのだろうか? だから人気のないはずの町で人(旅人の青年)を見つけたことに驚いて振り向いたのだろうか。
Ⅲ. 不思議な猫は飼い猫なのか野良猫なのか。
Ⅳ. 部屋の描写は鈴芽の実家なのだろうか? この家の描写はどこなのか。鈴芽が普段過ごしている場所とこの廃墟との関係性は。
Ⅴ. 「扉」のある、壁跡が見えるかつて存在していた建物は何なのか。鈴芽の「かつて」の実家か、それとも名も無きただの建物か。
Ⅵ. 扉の向こうの世界は元の世界(現実世界)と物的証拠も対称なパラレルワールドなのか。それともこのイスが訳ありの特殊物なのか。扉の向こうの世界は外見は元の世界と瓜二つ、しかし材質が元の世界と異なるのか。
以上になります。
『すずめの戸締まり』の続報を楽しみに待っていましょう。
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【追記】
下記の記事が完成しましたので お知らせ致します。
もしよければ ご覧くださいませ。
瀧三の出会いを祝して ~僕と新海作品との出会い~
皆さんこんにちは。お久しぶりですね。
実は昨年末から近況報告の記事を温めているのですが、今日は映画『君の名は。』にとって特別な日であるために、即席でこちらの記事の方を先に公開することにしました。
本日 2022年4月8日は漫画版によりますと、立花瀧と宮水三葉が東京で出会った日なのです。
漫画版『君の名は。』第3巻より
糸守での彗星災害から、瀧は5年半、三葉は8年半 待ちました。
映画での、須賀神社の階段にて 二人が「君の、名前は」と問いかけ合うエンディングの続き…、
すなわち彼らの本当の物語が始まる日でもあるのです。
『君の名は。』は、僕が新海作品のファンになったキッカケの作品です。
そこで二人の出会うこの日を記念して、僕と新海作品との出会いを書き綴ろうと思います。
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僕が新海誠作品と初めて出会ったのは、2014年、僕が中学2年生のころ。
父親の本を多く含む本棚の中に、『秒速5センチメートル』の漫画版を手に取ったのが最初でした。
「秒速5センチメートル」という内容を予想できない不思議なタイトル、淡く綺麗なカバー、CGめいた女の子(明里)の表情など…、一体どんな話しなんだろうと気になって手に取ったのだろうと思います。
まぁ ご想像の通り、思春期の中学生には多少、パンチといいますか影響力の大きい物語でして。
感想は今でも「切ねぇ」の一言に尽きます。ただただ、切ない。
秒速は爆弾のような作品だと今でも僕は思います。これは、興味本位で手にとってみたところ その結末に大きなショックを受けてしまう様が爆弾と似ているように感じるからです。ゆえに秒速は「取り扱い注意」な作品だと思っています。人に勧めるにも、若干の注意を払わなければならないと思います。
秒速の結末にあれほど心が締め付けられるのは、恐ろしいほどのリアリティにあると僕は思っています。あのような、幾度の転校のすえ大人になっても初恋の子を心のどこかで求めている人というのは、日本のどこかに誰か一人くらいは、いるような気がするんです。そんな気がしませんか。
まぁそんな僕の自論はともかく、少なくとも秒速の恐ろしいほどの切ないリアリティに僕は衝撃を受けたのでした。
しかし、印象に残ったのは秒速という作品だけでした。
作者の新海誠という人物には、当時の僕は関心が向かなかったんです。
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それから4年の月日が経った2018年2月、僕が高校2年生のとき。
普段は健康体な僕ですが、この当時はインフルエンザにかかってしまい学校を少しお休みすることになりました。
お休みの間はヒマなので、テレビの録画番組を見ることにしました。
その中の一つに、その年の正月に地上波 初放送されたばかりの『君の名は。』がありました。何でも2年前 社会現象を巻き起こしたほどのヒット映画ということもあって、早速 見てみようと思いました。
ところが。『君の名は。』初見の僕は、ほとんど その内容が頭に入ってきませんでした。
神木くんや上白石さんの演技は世間一般的には好評だったようですが、残念ながら僕には今どちらにどちらが入っているかが判別付かず、よく分からないまま見終わってしまったのです。
さらに、録画番組視聴は昼ご飯後の休憩に一時間ほどしか見ないものだったので、二時間ほどある『君の名は。』も二日に別けて視聴したため、余計に理解が妨げられてしまっていたのでした。
ところが。当時大学受験勉強に取り組んでいた僕の「分からないところを放置しない」癖が働いたのだろうとしか言いようがありませんが。何とも不思議なことに、よく分からなかった『君の名は。』をもう一度見直してみようと思い立ったのです。
2回目は時系列を頭の中で整理しながら見ました。「これ どういうことだ?」と疑問に思ったら映画を一時停止してネットのいわゆる考察サイトの助けを得て理解し、解決したらまた見進めるといった具合です。テレビとパソコンを活用した、地上波放送の録画ならではの視聴方法です。
この手法がとても効果的だったようで、僕の理解は追い付き、スパークルが流れる頃…「これは、もしかすると、とてつもない映画なのではないか」と思うようになりました。
そしてラストにやられてしまったわけでございます。
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後日、本棚にある秒速を見つけて、「新海誠って秒速の作者だったんだ!?」と4年の月日を経て新海監督の凄さと素晴らしさに納得することになります。
更に僕が新海作品にハマるのを後押ししたのが、ぽてとDAさんという方が書かれた『君の名は。~after story~』というオリジナル小説です。当時新海作品にハマり二次創作にまで手を出していた僕に、ラストシーンの瀧三の出会い以降…、今日から起こっていくであろう二人の出来事を描いた物語は、ハマりのブースト効果をもたらしました(笑)
映画における細かい設定にまで基づいた緻密な物語設定と、 「きっと新海監督がafter storyを作られるとしたらこんな感じなんだろうな」と思わせてくれるようなリアリティある素敵なストーリーが、僕は大好きです。リンク先を紹介いたしますので、この機会に皆さまもぜひ読んでみてください。
そして時を同じくして「語り場」の方々とも出会い、今に至ります。
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以上が、僕と新海作品との出会いになります。
最後は、僕が昨年秋に撮影しました聖地巡礼の写真で お別れしましょう。
これからの瀧三に幸あれ!!
二人の出会いを記念して。
また次の記事でお会いしましょう。
もしよければ皆さんの新海作品との出会い、コメント欄にて教えてくださいね。
<お知らせ>
新海誠監督 最新作『すずめの戸締まり』製作発表会見を視ての まとめと僕の所見
この記事では、12月15日に公開された 新海誠監督の最新作『すずめの戸締まり』の製作発表会見の内容を まとめました。
↓会見の動画はこちらから
【トークノーカット】新海誠監督最新作『すずめの戸締まり』製作発表会見
今後の予想で活かせそうな内容のみ抜粋してまとめました。
時刻は動画中の再生時間を表しています。
( )内は私の所見です。後日記事はまとめだけにして所見はコメント欄にて纏めます。
3:35
「すずめの戸締まり」3つのキーワード
1. 日本列島各地を巡るロードムービーであること。
2. 扉を開いていく物語ではなく扉を閉じていく物語であること
3. 映画館に足を運ぶ理由となるような作品であること
8:50
ゲストの上白石と森 登場
14:55
Q. Vコンテを見てどうだったか。
A. 上白石:圧倒された。純粋にストーリーに魅力がある。これまでの新海イズムを保ちつつ、それこそまた新たな"扉"を開いている。
森:良い意味の気持ち悪さがある。自分の分からないところで動かされている感覚。
18:00
司会が進行する形式から三人でのフリートーク形式に切り替わる
鈴芽は九州出身。上白石と森の共通点。
21:55
Q. 鈴芽にはどういう女の子であってほしいと思いながら描いたのか
A. 新海:アクションシーンも多い映画。ある存在と戦う女の子。
どれぐらいの勢いでガードレールを飛び越えるられるかもまだ分からないけれど、これからオーディションを通して鈴芽のことをもっと教えてくれる人と出逢えればいいなと思う。
(あるべきところに?)
Q. 作品を見た後どんな気持ちになったか
25:45
A. 上白石:解決しないことってないのかな。明けない夜はないというか。不安定な世の中で明日がどうなるか判らないけれど、それでも明るい明日を信じてみたいなと思わせてくれるような映画。前向きな終わり方で勇気をもらった。
27:25
森:自分には年を重ねるにつれ悩みごとが増えていく感覚がある。悩みごとを扉に閉じ込めておくのが楽かもしれないけれど、扉を開けて自分を揺るがす事態が起こったとしても、ちゃんと心と心でぶつかり合っていけばどうにか結末が見えてくる。扉の開け方、扉を開ける勇気を教えてもらった。教えてもらうことが多かった作品だと思った。
30:25
上白石:「『君の名は。』の「入れ替わってる!?」、『天気の子』の「今から晴れるよ」みたいに、日常の鍵の戸締り行為で真似してしまうのでは。」
(落とし所は鍵の戸締りか。「生活を守る」)(戸締りの歴史)
31:00
新海監督への質疑応答
Q.『君の名は。』など過去作とモチーフやテーマ、世界観について関連性はあるのか。今作だからこそ挑戦してみたいこと、挑戦したこと。
A. 世界線は繋がっていない新しい物語。新たに挑戦したこと:沢山あるが、アクションムービーであること。私たちが想像するアクションムービーとは少し違うアクション。
Q. ヒロインが生まれたキッカケは。
A. ヒロインよりも扉を締めていく発想が先にあった。寂しい風景が増えたなと思うことが増えてきた。コロナ禍での人通りの少ない新宿の様子は未来の風景を眺めているような気持ちになった。
新しい土地を拓くときに地鎮祭を行って土地の神様から許しを得る。しかし人が消えていくときには何をするんだろうと思った。(時々戻ってきて忘れられていく)だんだん消えていく寂しくなっていくならばどのように閉じていけばいいのだろうかということに興味が向いていった。それが物語の発想の起点となっている。
Q. 男女の関係性は
A. 年上の青年の旅人に憧れる関係性(キーワード「旅人」?)。各地の色んなキャラクターと出会っていくなかで友情が芽生えたり疑似的な親子関係になったりすることもある。もっと幅広い、年齢も広い様々な人間関係が出てくる物語。
森:おもちゃ箱のような物語。ギャグシーンあり!
Q. コロナが作品制作に与えた影響
A. コロナ禍そのものを描いたとしても時期的なズレが生じてしまう。映画館でどのような環境で上映できるのかも判らない状況。キャラクターにマスクを着けるべきかについても迷った。連想させる部分はあるがコロナそのものを描くことはしていない。結局のところキャラクターはほとんどマスクをしていない。この映画が公開される頃には当たり前のように各地を旅できるようになっていてほしいという願いを込めた。
Q. 過疎地域や災害被災地のような廃墟は登場するのか。
A. 被災地のような人が住まなくなってしまった土地は出て来る。作品中で「人のいなくなってしまった寂しい場所に扉は開くんだ」というセリフがある。(扉が出現→災厄で人が減少→過疎地域になる、ということなのか? 人の多い都市は出てくるのか?)
終わりに:監督からのメッセージ
たくさんの人に見てもらいたい。
(キャッチコピーに込められた意味は?「時間」?)(閉める と 締める)地域科学?
最後に私がたまたま見つけてなかなかに面白かった予想動画を紹介いたします。(動画時間23分)
前半は会見で既出のストーリー紹介になっているので、後半部分に着目してみてください。
【作品予想の履歴】新海誠監督『天気の子』の次回作についていち早く予想してみた
2021/12/16 記
本記事のタイトルを
【待機所】新海誠監督『天気の子』の次回作についていち早く予想してみた!
から
【作品予想の履歴】新海誠監督『天気の子』の次回作についていち早く予想してみた
に変更 致しました。
この記事で紹介していますYouTube動画で何度も登場した「終末」という表現。おそらく動画が公開された昨年末から1年が経ち構想も変わったのでしょう。昨日15日の発表会見では「終末」という言葉は一度も出ず、コロナ禍ではなく「閉じること」がテーマであることがわかりました。 内容によっては本記事にて引き続き会見を視ての記事を書き足すつもりでしたが、当記事で予想した物語のテーマとはまた別のテーマの物語であることが分かりましたので、会見の内容まとめと私自身の所見を書いた記事を新しく作成しました。記事はコチラから↓
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皆さんこんにちは。
先月、同じく新海作品について考察していらっしゃるLAMUさんが活動を休止されることになりました。
そこで LAMUさんが活動を再開されるまでの間、当記事をその「待機所」とすることも兼ね 本記事を作成しました。
さて昨年末、新海監督が『天気の子』に次ぐ新作映画について語られたインタビュー動画が公開されました。
まずはこちらの動画を見て頂きたく思います。
前半部分も興味深いものがありますが、本記事の趣旨上、14分44秒のところからご覧ください。
その部分を以下に文字起こししてみました。
Q. 次回の作品もやはり 想像もできないようなことが起こるんでしょうか?
そうですね、まだ言えないことばかりなんですけれども、でもあの、自分の力が及ばないようなとても大きなことが 起きてしまうところから始まる話ですね。
それはでも、その映画を作って自分たち自身が「自分たちも何とか大丈夫なんじゃないか」っていう風に思いたいからっていう気持ちが どこかにあるような気はしますけれどもね。
コロナ禍は巨大な災害ですが、
巨大な災害っていうのは、僕たちが生きてきたこの数十年間でも 何度も繰り返されてきているじゃないですか
コロナ禍にちょうど作っている映画なわけですけれども
何か世の中が大きく終わってしまうような
変わってしまうような 出来事があったとしても
その先で何とかして生き続けていく
変わってしまった世界で それでもこう、少しでも健やかに生きていく
ですから…
終末のその先で展開されるような映画を 作りたいと今は思っていますね
「何かが終わっちゃう 何とかして 食い止めなければ」 という映画ではなくて
そんなふうに変わってしまった世界の中でじゃあどんな冒険があるんだろうとか
どんなふうに人と想いを通わせることができるんだろうとか
どんなふうに変わってしまったショックを 自分は生きていくうえで乗り越えることができるんだろうとか
そんな風にその終末の後に僕たちが向き合わなければ いけないことを描くような映画を作りたいと今は思っています
その…大変、示唆に富んでいますよね。
聞き手の方の相槌が私たちの心情を代弁してくださっていると言いますか。お言葉を聞きながら、本当に色々なことを考えてしまいます。
さて、私が気になったのが「終末の先」という表現です。
そもそも、終末というのは「終わり」という意味です。それに先がある、未来があるというのは、僕にとっては些か違和感があるように思えたのです。ここでいう終末とは、「終わりそう」という意味合いで捉えるべきなのかと思いもしました。
また、次回作の構想がコロナ禍を受けたものであることは明らかですが…。そうだとすると、コロナ禍を「終末」と例えたことにも違和感を覚えてしまいます。
陰謀論的なものを信じない限り、コロナで人類が滅亡するなど思わないはずです。と言うかそう思いたい。コロナに負けないと。いつの日か、大勢の人で賑わう日が来るのだと。誰もがそう信じて、様々な制約のある生活を強いられているわけです。
そういう意味で、僕はコロナ禍は「終末」ではなく人類の「危機」だとは思います。この危機を乗り越え、できる限りコロナ禍以前の生活に近づけるのだと。
もちろん、コロナ禍と終末という表現とは関係がないかもしれません。ただ単に次回作が終末を描くものなのかもしれません。(それはそれで次回作のヒントになるのですが)
ただ、監督から一度も「危機」という言葉がなく、「終末」という末法思想のような言葉でまとめられていたのは、何か意図があるようにも感じられ、次回作を予想する上でもヒントになるような気がするのです。
そこで皆さんに問います。
「終末の先」で何が描かれるのでしょう?
ディスカッションテーマ
・「終末の先」って何だろう?
一応 僕の方でテーマを決めさせて頂きましたが、「終末」と「その先」についてなら何でもよいです。
これを当面の間、テーマとしたいと思います。
もちろん自由参加型です。様々なご意見お待ちしております。
ではその他 私なりの予想や所見を以下に述べていきたいと思います。
・新作映画は『天気の子』の答え合わせになり得るのか
一昨年『天気の子』が公開された頃。「『天気の子』は『君の名は。』の「答え合わせ」である」、という表現を僕は聞いたことがあります。その解釈としては様々なものがあると思いますが…、僕は、『君の名は。』が"偶然"大ヒットしたことで一躍有名になった新海監督が、プレッシャーのある中でも次の作品をヒットさせ、そのヒットが偶然ではなく実力によるものであることを示した、という風に思っています。(正直僕はヒットだとか興行収入だとかよりも作品の素晴らしさを重視したいのですが、主にマスコミがそうした評価を好むのでそのような解釈にしています)
それで、この新作映画は『天気の子』の「答え合わせ」になるのではないかと僕は思うのです。
すなわち『天気の子』が示した、「大丈夫」の答えが描かれるのではないかと。(インタビューでも「大丈夫」の言葉が登場していましたね。)
「終末の先」を描くとは、「大丈夫」を描くことなのでしょうか?
・『天気の子』と似て非なる点
そういうわけで先ほどのインタビューを聞く限りでも、物語の展開的にはまるで『天気の子』と同じようなものになりそうな気もしますよね。降り止まない雨だって、十分「自分の力が及ばないようなとても大きなこと」じゃないですか。
でも『天気の子』における災禍…、降り止まない雨は、東京を中心とした極めて局地的なものでした。しかしコロナ禍はご存知の通り、世界規模での災禍です。すなわち「災禍のスケール」が全然違うわけです。
『君の名は。』の大ヒット、更にそれに続く『天気の子』の海外上映によって、新海作品は今や世界的にも有名になりました。
ハリウッドでのアカデミー賞受賞を目標とする新海監督にとって、この「世界規模の災禍」を描くであろう新作映画は、目標を見据えた挑戦への大きな一歩となるのではないかと私は思っています。
news.tv-asahi.co.jp
もしかすると大成建設のCMのように…。新作映画では異国情緒あふれるカットも多数出てくるかもしれませんね。
・巨大な災害とはいったい何?
新作映画でキー設定となっている「自分の力が及ばないようなとても大きなこと」って、一体どんなことなんでしょう?
先ほど私が予想したように、世界規模の災禍なのでしょうか?
もしそうだとすると、以下の記事に示されているものの中から、ある程度は予想できるかもしれません。
www.technologyreview.jp
こうやって見ていくと、『天気の子』の降り止まない雨や、『君の名は。』の彗星落下など、割ともう既に当てはまるものもありますね(笑)
私はこの「巨大な災禍」に、またオカルト的な何かの説を絡めるのではないかと思います。
核戦争とかだと映画が思いっきり政治味を帯びてしまいますからね。オカルトやファンタジーの要素も含めることで、映画が政治味を帯び過ぎないよう調整することができます。これは『天気の子』や『君の名は。』のときもそうでしたよね。
皆さんもぜひ予想されてみてはいかがでしょうか。
・新作では『天気の子』のキャラクターが登場?
これまで新海監督は、古参のファンの方々に向け、新作映画に自身の過去作のキャラクターを登場させる「サービス」を行っていました。『君の名は。』では前作『言の葉の庭』の雪野百香里、『天気の子』では宮水三葉や立花瀧らなど、前作『君の名は。』のキャラクターが多数登場しました。同様に、新作映画でも「サービス」を盛り込まれるのだとしたら、帆高や陽菜が登場することも大いに考えられます。
特に選択によって「セカイ」を変えた帆高の登場の仕方や立ち位置は非常に気になるところがあります。
はい、以上新作映画について予想してみました。いかがでしたでしょうか。
やはりこうやって内容を予想するのはワクワクしてくると言いますか、新作映画の公開が楽しみになってきますよね。
ディスカッションテーマほか本稿をご覧になって思ったこと考えられたこと、何でも構いません。コメントお待ちしております。
それでは次の記事でお会いしましょう。
【天気の子】須賀明日花と陽菜の母親が「天気の巫女」だったかについての考察
https://publicdomainq.net/flower-rain-0014633/ より (フリー画像)
皆さんこんにちは。
今回の記事では、映画『天気の子』に登場する須賀圭介の妻 明日花と、ヒロインである陽菜の母親が「天気の巫女」だったかについて考察していきたいと思います。
・明日花が天気の巫女であったという説について
まず私の結論から述べることにします。
明日花が天気の巫女と一般人のどちらかといいますと、私は一般人だと思います。
後で考察しますけれども、明日花だけでなく陽菜の母親も天気の巫女なのではないかという説もあるのです。明日花と陽菜の母親、どちらがより天気の巫女の可能性として高いかを考えてみますと、やはり陽菜の母親の方が可能性としては高いと思うのです。なぜなら正真正銘の「天気の巫女」である陽菜の母親ですし、作中で重要アイテムと見なされることもあるチョーカーの元持ち主でもありますからね。仮に陽菜の母親も明日花も天気の巫女だったとすると、本作では3人も天気の巫女がいるということになってしまい、これはさすがに多すぎると私は思うのです。(つまるところこれといった根拠はないのですが…。)
さて私とは反対に、明日花を天気の巫女だと考える方が挙げられているその理由としては、複数の様々な記事を読ませて頂いたところ、下記の記事のような主に以下の7つの理由にまとめられそうだと思いました。
https://wonderfulnomadolife.com/movie/4669 (現在閲覧不可)
1.須賀が涙していた
2.明日花の死因が特定していない
3.萌花の親権が須賀にないこと
4.萌花が雨の日にぜんそくの発作を起こすこと
5.帆高が向かった廃ビルに来れたこと
6.100%晴れ女は須賀から提案されたこと
7.帆高と重なる部分が多い
この7つの理由について批判的に検討しつつ、私なりの考察を述べていきたいと思います。
1. 須賀が涙していた
最もよく見られたのがこの理由です。
小説238ページ。事務所を訪れに来た安井刑事との会話中、須賀が「全てを放り投げてまで会いたい人」を自らに問い、無意識のうちに涙を流してしまう場面です。
この主張は、須賀と帆高の類似性から考えてみると、須賀が明日花を死なせてしまったのは、帆高が巫女である陽菜を死なせてしまったことと対応しているため、明日花も天気の巫女だったのではないかと考える主張です。
私としては、この2組は「大切な人を見失ってしまったこと」は確かに共通点として挙げられますが、天に召されたこと……、つまり「死因」まで共通なのかは分かりません。
そういうわけで、死因がカギになってきそうです。次に続きます。
2. 明日花の死因が特定していないこと
次に死因についてなのですが、正直こちらもはっきりしたことは分かりません。何しろどこにも書いてありませんので(苦笑)
明日花を天気の巫女とする説の意見としては、天気の巫女の人柱となったため、遺体が見つかっていないのではないか、といったようです。
ですが、少し手がかりになりそうな箇所があるんですよ。
小説の159ページ目。芝公園にて、陽菜と夏美が初めて会って会話するシーンです。
「ハンドルを切るように私は笑う。」
話題を変えることの比喩表現に、なぜ、わざわざ「ハンドルを切るように」という表現が使われているのでしょうか? 「私は思わず言葉を濁してしまう」といった別の表現でもいいはずです。それも、明日花が亡くなったことを話しているこの場面でー。
「ハンドルを切る」という行為は、もちろん「車を運転している」状況を連想させますよね。
夏美はハンドルを切るように話題を変えた。でも、明日花はハンドルを切りきれなかった……。
そういう対比を、暗示させている表現だと捉えることはできないでしょうか。
この箇所に言及しているブログ記事を私はまだ見たことがありません。
おそらく私が第一発見者かと思われます。(もし先に発見されていた方がおりましたらすみません。)
どうしても推測にはなってしまいますが。以上のことから、
「明日花は天気の巫女ではなく一般人で、死因は交通事故死」
というのが私の見解です。
(ちなみにですが「天気の巫女だったから突然消えた」「一般人だったから交通事故死した」と短絡的に考えるのは避けたいところですね。本人が巫女だったかと死因は別モノ。巫女とはいえど物質的な肉体を持った生身の人間なので、「巫女だったけれど交通事故死した」ということもあり得るはずです。ここは注意しておきたいところでしょう。)
3. 萌花の親権が須賀にないこと
萌花の親権は須賀になく、明日花の母である間宮夫人が持っています。
明日花を天気の巫女とする説の意見としては、須賀が娘の親権を奪われたのは、明日花は須賀に愛想をつかしたのだろうと間宮夫人が考えたため、といったもののようです。
これについても、明確な根拠はありません。
ただし、『君の名は。』の外伝小説であるAnother Side Earthbound の、
p226~229、p251~257の部分は参考になると思います。何しろ明日花・圭介・間宮夫人……、妻・夫・義母の三者の関係は、前作『君の名は。』の二葉・俊樹・一葉の三者の関係、すなわち両家の反対を押し切った大恋愛の末 結ばれ、妻に先立たれ、残された夫と義母が対立するという点で、非常に似た設定になっているからです。
ただし両家の喧嘩になるような大恋愛の末に結ばれた二人なので、明日花が須賀に愛想をつかすなど考えられないのですが、間宮夫人がそう考えていたかについては、まぁ間宮夫人に直接訊いてみるしかないわけです。
4. 萌花が雨の日にぜんそくの発作を起こすこと
明日花を天気の巫女とする説の意見としては、明日花が天気の巫女であったからこのような症状を持ったのでは? もしくは、萌花の喘息を治すために人柱になったのでは?
といったもののようです。
これは陽菜と比較してみると割と否定的な見解になりますね。この疑問の通り娘の喘息を治すために人柱になったということは、人柱として死ぬということを知り覚悟したうえで人柱になったということですよね。でも陽菜の場合、自身が人柱であるということでさえ、夏美に教えられるまでは知らなかったですよね。つまり自分自身が人柱であるということは、自身が人柱であることが定まっていたとしても、普通は知りえないことなのです。(普通、というのは神様から告げられて知る場合があるからです。アニメだとよくあるでしょう? 神様のお告げシーンが。)
これはですね、いや喘息も大変な症状であることは私も知っていますけれども、娘の生死がかかっているならともかく、そこに自身の死を犠牲にするというというのはどうしても考えにくいのです。萌花にとってもまだ母親からの養育・保護が必要な年齢ですからね。娘の喘息を治すために人柱になったというのは、やはり考えにくいです。
5. 帆高が向かった廃ビルに来れたこと
明日花を天気の巫女とする説の意見としては、須賀が警察よりも早く廃ビルに来れたのは、その屋上にある、天気の巫女と関係する神社を知っていたのでは? といったもののようです。
この仮説だけは明確に間違いであると断言できますね。なぜなら劇場版パンフレット質問で以下のように答えられているからです。
つまり、須賀は屋上にある神社など知ってなどおらず、スマホを通して帆高の現在位置を見ることができたから、警察よりも早く廃ビルに来れたということですね。
明日花が天気の巫女であったかもしれないという可能性を間接的に否定できるのです。
6.100%晴れ女は須賀から提案された
これは、明日花が巫女として亡くなったと仮定すると、須賀がオカルト雑誌の取材テーマとしてために100%の晴れ女を提案したのは、自分の妻の死因を調べるためだったのではないかという主張です。
これは「なぜ須賀が神津島経由のフェリーに乗っていたのか」という疑問にも関わってきます。
しかし須賀が明日花を亡くしたのは三年前。この頃はまだ天気は正常でした。須賀が俊樹のように妻を亡くして打ちひしがれていたとしても(おそらくそうであっただろう)、本当に天気の巫女だとしたらその死因(消えた理由)を探しにそのときに旅に出ていたのではないでしょうか。
それに小説45ページでは、100%の晴れ女を取材テーマとして選定した理由が書かれています。
「とにかく人に会って目撃談や体験談を聞いて、記事にすりゃいいんだ。・・・ジャンルは何でもいいからさあ。・・・身近なとこで、これなんかどう? ネットで噂の『100%の晴れ女』・・・このところずっと雨続きだからな。連続降水日数更新とかテレビで言ってたし。だからまあ需要あるだろ、な?」
需要という理由が本当はタテマエなのかは分かりませんが、直接的な、第一の理由としては「世間の需要に即したもの」だと書いてあります。
また、須賀は晴れ女の記事を一度ボツにすらしているのです。(小説140ページ)
「うさんくさ・・・と思わず俺は呟く。オカルト誌の記事にはふさわしいが、「噂の晴れ女を追う! 異常気象はガイアの意志だ」の企画は既に没になっているのだ。俺はまだそれを夏美に言えていない。」
まぁ、須賀は明日花の本当の死因は旅で知ったものの、それを自身の心の内に留め、公に出すのをやめたという可能性はあります。いずれにせよ没にした須賀の真相は判りませんが。
よって須賀の旅が自分の妻の死因を調べるためだったというのは考えにくいと私は思います。
7.帆高と重なる部分が多い
これは須賀と帆高が似た設定であることを受けた主張ですね。つまり帆高の恋人(?)である陽菜が天気の巫女なので、須賀の妻である明日花も天気の巫女なのではないかという対応関係に着目した推測ですね。
批判的に言ってしまえば、いささか短絡的な推測だとは思います。そうとは限らないだろうと。
これについては冒頭に述べたように、仮に陽菜の母親も明日花も天気の巫女だったとすると、本作では3人も天気の巫女がいるということになってしまい、これはさすがに多すぎるのでないかという主張を私は挙げておきたいと思います。
+α、その他の主張
αー1 オカルト的
https://note.com/ukyonagata/n/ne119c5e892c8 (現在閲覧不可)
αー2 ムーの記載
https://hitori-kurashi.com/tenkinoko/ (現在閲覧不可)
こちらの記事でも明日花は天気の巫女だったとされておりその理由として「陽菜の母親と同様に現代にしては短命すぎるという事に違和感を感じたから」と述べられていますが、これは2でも見たように明日花が何であれ「事故死」したことを見落としている点で否定します。
ただしこのムーの記載は私も気付いていませんでしたし、興味深いものがあります。
私は「大量の人柱」とは天気の巫女が多数いる事を意味する、と思います。
神主「人の切なる願いを受け止め、空に届けることのできる特別な人間。昔はどの村にもどの国にも、そういう存在がおったのだ。」(小説142ページ)
占い師「今は天の気のバランスが崩れているから、晴れ女や雨女が生まれやすいの。」(小説48ページ)
晴れ女陽菜のことはメディアにも取り上げられネット上でも伝説になりつつありましたから(小説121ページ)、他の「晴れ女」たちも陽菜の存在を知っていたかもしれません。まぁ物語を複雑にしてしまうので当然 端折られているわけですが、二次創作の肴にはできそうかもしれませんね(笑)
ちなみにですが帆高も鳥居をくぐったことから雨男になったのではという説もあります。
α-3 記憶が消える?
https://dorama9.com/tenkinoko-suga/
こちらの記事では、『君の名は。』のように、「天気の巫女」の運命「人柱」を全うしたときには、「秘密」を知っていた者の記憶が消えるという大胆な仮説を紹介されています。
この発想は面白いのですけれど、4.で紹介しました喘息の件(陽菜の場合、自身が人柱であるということでさえ夏美に教えられるまでは知らなかった。つまり自分自身が人柱であるということは、自身が人柱であることが定まっていたとしても、普通は知りえないことなので、神様からのお告げがない限り、明日花は自分の「秘密」さえ知ることはなかったと考えられる。すなわち、そもそも自分自身でさえ「秘密」を知ることがないということ。)で否定できてしまいます。
まとめると
1.須賀が涙していた→一応否定可能
2.明日花の死因が特定していない→有力と思われる否定を発見。
3.萌花の親権が須賀にないこと→一応否定可能
4.萌花が雨の日にぜんそくの発作を起こすこと→有力な否定👌
5.帆高が向かった廃ビルに来れたこと→完全に否定可能👌
6.100%晴れ女は須賀から提案されたこと→否定可能
7.帆高と重なる部分が多い→否定は一応可能
という感じで、明日花が天気の巫女だったという説は概ね否定されるものになります。
・陽菜の母親が天気の巫女であった説について
今度は、陽菜の母親が天気の巫女であったかどうかについて考察していきます。
結論から言いますと。
陽菜の母親は、「天気の巫女」だった……と私は思います。
でもちょっと待ってください。確かに天気の巫女だったと思ってはいるのですが、「完全な」天気の巫女だとは思っていないんです。
どういうことかと言いますと。たとえば0から100までの「天気の巫女度」というものを考えます。0が巫女の力など持っていない状態で、100が天気の巫女でその力を十分に発揮している状態です。この尺度を用いるならば、陽菜の母親はだいたい25くらいかなと思っているのです。言わば「隠れ天気の巫女」といった感じです。
どういうことなのか具体的に解説していきます。
パンフレットにはこのようなQ&Aがあります。
陽菜が「天気の巫女」になったのは、「神さまと偶然 眼が合ったこと」と、「母系の素質があった」ことだと。(☆マークの箇所)
つまり「天気の巫女」の力は、『君の名は。』の「夢」を見る能力と同じく母系遺伝する能力ということなので、陽菜の母親がいくらかの巫女の力を持っているというのは確実に言えるでしょう。(「母系の素質があった」ということは、ご先祖さまには「正真正銘の」天気の巫女がいた可能性は高いでしょうね。)
私はこの「血筋」は巫女になるための必要要件だと思います。
そしてもう一つの「神さまと眼が合うこと」が偶然性をもった要素であることが重要だと思うのです。すなわち陽菜は神さまと眼が合ったことがあるのは確実なのですが、陽菜の母親は神さまと眼が合ったことがあるかは判りません。個人的には神さまと眼が合ったことはなかったと思います。だから陽菜の母親は血筋という片方のみの条件を満たした「隠れ天気の巫女」と考えられるわけです。陽菜の「お天気ビジネス」のように、ド派手に天気を晴れにすることはなかったでしょうからね。
ここで、陽菜の母親の死因に着目して、「じゃあ陽菜の母親が若くして亡くなったのはなぜなのか。巫女の力を使って衰弱したのではないか」という意見がおありの方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、陽菜が事実上「死んだ」ときのことを思い出してください。陽菜は、病室で横たわる母親と異なり、天に召される、すなわち死ぬというよりは姿が消える、といった死でした。また、母親と異なり人口呼吸マスクや点滴などの治療も受けていません。
このように陽菜とその母親とでは亡くなり方が全く異なります。よって、陽菜の母親が若くして亡くなったのは、巫女の力を使って衰弱したのではなく、先天的な体質の問題や、幼子二人を生計を立てながら一人で育てるという過労によるものかと私は思います。
なお、天気の巫女として力を発揮する必要要件、あるいは力の増幅材となるものはそれぞれ何が考えられるのかという疑問が湧いてくるのですが、
それらがどのような効果をもたらしているのか、ここで書いてしまうと長くなってしまいますので、また別記事にて「天気の巫女度」を用いつつ考察していくつもりです。
陽菜の母親は一度も巫女の力を使うことなく死去。しかし母系遺伝する能力を持つ血筋だったので潜在的な力はあった。そういうわけで私は陽菜の母親を「隠れ天気の巫女」と呼びたいのです。
話しを「天気の巫女度」に戻しますが、陽菜は「100%の晴れ女」と呼ばれていますよね。これはもちろん「100%の確率で天気を晴れにできる(確実に晴れにできる)」という意味だとは私も分かっていますが、別として「巫女の力を100%発揮している」という意味も持ち合わせていると捉えられなくはないですよね。
この天気の巫女度というのは筆者独自の考えです。他のブログ記事では見たことがありません。有ると無しの二分法は物事を単純化でき分かりやすくしてくれますが、往々にして物事というのは複雑で、二分法ではかえって本当の真実を見い出せなくなってしまうことがあります。細かい尺度を設定することにより巫女の力の発揮度合いを段階的に分析することが可能となり、合理的な考察を行うことができます。
天気の巫女だった、天気の巫女ではなかった、という簡単な二分法では、この問題は説明できないのです。
よって筆者の結論を簡潔にまとめて述べるならば、
明日花……「0%の晴れ女」
陽菜の母親……「25%の晴れ女」
陽菜……「100%の晴れ女」
といったところでしょうか。
いかがでしたでしょうか。
もしよければコメントなどお気軽にお寄せくださいね。
ご覧いただきありがとうございました。また次の記事でお会いしましょう。
今日、2021年8月22日は、陽菜の誕生日。そして、帆高が陽菜を天から連れ戻した日…。
本ブログにおける著作権等の認識・扱い
本記事では、当ブログにおける著作権等の認識や扱いについて記述します。
背景としましては、2年ほど前、当方は著作権についてネット上で言い争いになったことがありました。(論争と呼べるほどのものでもありません。相手の輩も「こんなことも知らないの?」とでも言わんばかりに某アンパンのヒーローが登場する子供向けの著作権についての解説記事を突きつけてくるような奴でしたので。)
しかし当時の私は高校生であったこともありますが、著作権についての理解が未熟だったことは確かで、反省すべきことと考えております。
思い返してみれば、当ブログにおける著作権等の認識や扱いについて管理人である私の方から明確な見解を示したことはありませんでした。そこで改めて述べさせて頂くことにした次第です。全てのブロガーの方に当てはまることではありますが、ブロガーは著者でもあり管理者でもあることがミソというわけです。
当方の方針を決めるにあたり参考にさせて頂いた図書としては以下になります。ネット記事ではなく、実在する複数の紙媒体の資料を読みました。
・どこまでOK?迷ったときのネット著作権ハンドブック 中村俊介
p22、p26、p91、p101、p130、p208
・「知らなかった」ではすまされない デジタル時代の著作権最新Q&A 酒井義男
p61、p64、p126、p146
・最新著作権の基本と仕組みがよ~く分かる本 [第2版]
p104、p106、p124
・コンテンツ別 ウェブサイトの著作権Q&A
p30~p96、p107、p150、p153
(※ ブロガーさんに一番オススメなのは、一番下の「コンテンツ別 ウェブサイトの著作権Q&A」です。コンテンツ別なので分かりやすかったです。)
上記の紙媒体資料を参考に、本ブログにおける著作権等の認識や扱いについて以下の通り規定することに致します。
・画像
本ブログで使用する画像は主に2種類あります。
・記事のサムネイル画像
・記事の本文中で論拠・参照として提示する画像
記事のサムネイル画像については、基本風景の写真やイラストになるかと思いますので、私自身が撮った写真かフリー画像を用います。
記事の本文中で論拠・参照として提示する画像というのは、当ブログでは新海誠監督作品についての考察記事も執筆しておりますので、考察の根拠として小説やパンフレット、漫画版やインタビュー記事などの画像を挙げることがあります。これらは執筆文章に対して従属するよう気を付けながら、「引用」という形で使用することがあります。
・URL
ブログ中に別の記事のURLを貼ることは、特に許可も必要なく問題も無いようです。画像と比べると不明瞭な部分が無くほとんどの場合で認められているようなので、ある文章を引用させて頂きたいときは、画像として貼るのではなく、記事のURLを記述するにしたいと思います。
・動画
当ブログでは、動画を貼ることはほとんど無いと思いますが。あるとすればYoutubeの動画くらいでしょうか。動画の概要欄に「無断転載禁止」と記載されている場合は、当方の使用は控えます。記載のない場合は基本、URLも併記したうえで貼るようにします。
以上になります。
ちなみにですが、当ブログで上げていた とある写真が、Twitterのリプライで無断使用されていたことがありました。
この写真については特に問題ないと考えていますので私から追って使用を許可しますが、私が使用してほしくない、または使用すると問題が生じるであろうと判断した画像が使用転載されていた場合についてはコメントさせて頂くことがありますので、ご了承ください。
以上このような記事を作成しているあたり、少なくとも私が著作権についてある程度の意識を払っていることはお伝えできたのではないかと思います。
さっそく今日同時投稿させて頂いた記事からこの方針に沿っていきます。
その他ご意見のある方はこの記事のコメント欄にお寄せください。
ー終ー
2020年の振り返りと今年の抱負
お久しぶりです。
https://www.photo-ac.com/main/detail/3334830?title=%E6%A1%9C%E3%81%A8%E9%9B%AA&searchId=47441906 フリー写真画像より。
いやぁ……。LAMUさんの記事の方では たまに顔を出させてもらっていましたが、こうして自分の方で記事を出すのはなんと半年ぶりになります(苦笑)
↑ 閲覧用BGMにどうぞ。筆者もこちらの音楽を聞き流しながら記事を書きました。
今回の記事は、私自身の近況を報告させていただく記事になります。
この記事、本当はもっと早めに公開する予定ではあったんです。
※ 以下、少々 筆者の一人語り - - - -
でも。自分のプライベートなことを晒すのはどうなのかという気持ちと、いやきちんと報告すべきだという気持ちの両方があって。(何せ本ブログは記事をほぼ確実に見てくださる方がいらっしゃるというのが特徴ですから。)……別に閲覧数も多くはないですし、手間と時間もそれなりにかかりますからね。
お休みしていた間、ブログに全く手を付けていなかったわけではないんです。それどころか、他にも 作ろうと思い立って、タイトルといくらかの下書きで止まっている記事がいくつかあるんです。
何だろう、まるで活性化エネルギーのグラフのように……。思い立ったはいいけれど、一山 越えないといけないような状況になっていて。
https://rikeilabo.com/activation-energy より拝借
それでも。自分の中ではブログをやっているという気持ちはありますし、このタイトルの記事は完成すべきだろうという思いもあり、公開に至りました。
それに……、この記事の作成にあたって、書くことによって様々なものが整理されていくことの大切さを、改めて実感したというのもあります。
そういう当方の事情もあり、本来 元日に出すべきであろう記事ではありますが、新年度を迎えた今にまでズレこんだこと、どうかお許しください。
ー ー ー ー ー
では、おおよそ時系列順に並べた8つのキーワードで昨年一年を振り返ろうと思います。
一応、私が住んでいる市の新規感染者数の増減グラフも載せておきます。
…昨年は、このグラフにずいぶん左右された一年だったような気がしますね。
・大学受験
今思えば、当時はここに来るなんて夢にも思っていなかったんですよねぇ。センター試験を終え、大学も学部も変えての挑戦。残り一か月で何ができるか。大学を変えたので、まずは問題の傾向を掴むことからでした。過去問を解きまくる毎日。そして10年ぶりに乗る飛行機で試験場へー。
・1か月の休み
合格が判った翌日。一年間お世話になった寮を去る日。迎えに来てくれた車の中で弾む、家族との心地よい会話。感じる惜別と哀愁。自動車学校に通う人も多いこの期間ですが、久しぶりの実家で僕が主に取り組んだのは学習教材の処分でした。高校、塾、予備校のものを合わせると膨大な量になるので、大変でした。
それから、ここへ旅立つ直前だったのですけれど、実は一人で一泊二日の合格旅行をしたんです。訪れたのは、長野県の松本と小海町というところ。そう、小海町は新海監督の出身地ですね。旅の主な目的は、そのとき松本で開かれていた『天気の子展』を見ることと、小海町を訪れて新海作品の原点を知ることでした。
・4年間を過ごす地へ
ここでの生活が始まりました。部屋を物で散らかしたくなかったので、持ってきた物は最小限(これは予備校の寮にいたときの教訓から。掃除って意外と大変)。足りないものは新生活用品として買いに行きました。授業は5月からだったので、基本ダラダラしていましたけれど……。たまには大学も訪れ、新緑あふれる綺麗なキャンパスを撮ったりしていました。
・カラオケアプリ
半年前の記事でも紹介した このアプリ。去年の上半期の生活は、このアプリと大学のオンライン授業で構成されていたと言って過言ではないほど、ハマっていたのは確かです。
アプリを始めたのは、ちょうどこの時期。きっかけとしては ①自分の歌が保存できた(自分がどのように歌っているか聞き直しができる)ことと、②カラオケが大学生の遊びの一つであり、その練習として使えること、でした。もともとは。
しかし6月中旬、「ルーム機能」なるものが追加され、私はみるみるうちにハマっていくことになりました。画期的だったのは某配信アプリのようにリアルタイムで人の声が聞けること。大学で友人を作ることができない状況が続き 一人寂しい私にとって、その代わりとして人間関係を築く場となっていったのです。
でも……あれほどハマっていたアプリも、今ではごくたまに気の向いたときしか覗かなくなりました。簡潔に言うならば、熱しやすくて冷めやすいアプリだと思っています。
つまり……どれだけ仲良くなっても、相手が飽きてログインしなくなってしまえば、その人との繋がりは自然に消滅してしまうんです。自分は長く続いた方だと思いますが…、その間にも仲良くしていた方々がいつの間にか消えていってしまいました。それが儚く感じられて……年が明けるのを前後して、自分も このアプリを去っていました。
でも、歌うことの楽しさ(って言うのかな)をこのアプリから教わったような気がします。そして、このアプリで様々な楽曲を練習したことが、後に活きてくることとなります。
※ 「ホール・ニュー・ワールド」
https://u.pokekara.com/mv/1285182827302215680
↑ アプリを始めたての僕に、使い方を親切に教えてくださったお姉さんとコラボしたときの作品です。アラジンよりもアラジンっぽいとの好評をいただいてもおります(イヤホンでの試聴をおススメ致します。初期の作品なので音質はご愛嬌)。この方の勧めもあって、僕は定期的に「ヒトカラ」というものに行くようになりました。
・Official 髭男 dism
髭男と出会えたことは、昨年で一番幸運だったことの一つだと思っています。
きっかけは先ほどのカラオケアプリで『Pretender』という有名な曲を歌ってみようかなと思ったことでした。その後 他の髭男の曲を聞くたびに、どんどん「自分に合ってる」と実感していくようになりました。
髭男の魅力を簡潔に3つで伝えるなら、
① メンバー全員が好感を持てる人柄で、ファンの民度も高い。
② 世に出される曲が毎回「イイ」(リズムや歌詞、韻踏みなど)
③ 自分がほとんどの曲で原曲キー ~ +2のキーで歌える。
って感じです。原曲の雰囲気で歌えるのって大事ですよ。RADWIMPSによる新海作品の楽曲も好きなんですけど…。僕の場合-5とか原曲とかけ離れたキーじゃないと歌えなくて(涙)
僕は『パラボラ』っていう曲が一番好きです。新生活応援ソングなので、大学生活が始まったばかりの自分には共感できて。「こうありたい」と思う自分を歌ってくれているように思うんです。
カラオケ好きなのに好きなグループバンドとか歌手がいないというのは違和感がありませんか? 髭男と出会えたことで「髭男が好きです!歌うことが好きです!」と言えるようになったことは、……好きと得意がしっかりと形を帯びたというか、自分にとって物凄くプラスになることでしたね。髭男の楽曲で人生が豊かになりました。本当に感謝、です。
・ジモティー
8月下旬。カラオケアプリで人との関わりを築いていた僕ですが、リアルでの関わりも持ちたいと思うようになっていました。ネット上の関係だけでは飽き足りないようになっていたのです。
そこで見つけたのがジモティーというアプリ。ジモティーというのは もともと品物の売買・受け取りを地域のご近所さん同士で直接会って行うためのアプリなのですが、別の一環としてメンバー募集というのもあります。
そこの とあるカラオケグルに参加させてもらいました。メンバーは22人ほどですが実際開催された時には4、5人参加していれば多い方といった感じです。感染状況を鑑みながらの開催なので、長らく開催されない時期もありました。
初回のときは、誰かとカラオケをするということ自体が初めてだったので緊張していたのですが、それはもうたくさん褒めていただいて。とても嬉しかったのを覚えています。
基本時間がある大学生の身なので、その後も開催されたときは ほぼ毎回参加させて頂きました。
(中略)
・大学の友達
9月下旬。後期の授業が始まりました。最初の2週間は全てオンライン形式でしたが、それ以降は一部で対面形式(コロナ禍以前のように、大学に来て教室で授業を受ける形式。)で授業が始まりました。
そのお陰で入学半年にして、ようやくリアルでのお友達が出来ました。2つ同じ授業を取っていて、同じ学部 同じコースに進みそうだ(ただし研究室は違います)ということで親しくなったのです。
一人ではできないということでクリスマスは僕の希望で宅配ピザを注文して一緒に食べましたし、年末は年越しオールも開催しました。今年に入ってからで言うと彼から道具を貸してもらったうえでスノーボードに行ったり、彼が免許を取ったので日帰りドライブにも連れていってもらいました。
彼とは別に、歌が好きな友達グループも今できつつあります。……本当に、「ようやく」と言った感じです。
・アルバイト
バイトにも初めて挑戦しました。
今は交流はなくなりましたが……。カラオケアプリで出会った一年生の二人がよくバイトの話しをしていまして。自分もバイトというものを経験するべきだろうな、と思ったんです。
12月末までの1か月ほどの短期だったのですが、この時期 忙しくなる某運輸会社の「配達助手」というものをさせて頂きました。
具体的には、トラック運転手の隣に座って、荷物の配達を手伝う お仕事になります。実際に宅配を行います。時期もあってサンタのような感覚もありました(笑)
なので これでお金がもらえるということが、少し不思議な感覚でしたね。何だろう、これが物流の末端、これが社会の末端。これが働くということ。自分も社会に組み込まれているのだという感覚。そういう感動を、味わいました。
その感動って、たぶんとても大事なものだと思います。
とにかく「働くこと」に対するハードルが無くなったのは大きな一歩と言えるでしょうね。
最近になって、自分のバイトに対する考えが固まりました。それは「短期を気まぐれに」です。
短期なのは、様々な職を転々とすることが出来るのは今のうちだけだから。人間関係を築くことはできませんけれど……社会の様々な分野を体験しスキルを得ることは、将来役に立つと思っています。
気まぐれなのは、「お金」よりも「時間」を大切にしたいと思ったからです。社会人になったら、否応なしに働かざるを得ず、お金も、言ってしまえば自然に入ってくるわけなんですよね。ずっと。
そう考えると、大学での4年という年月が、とても短く思えてきたんです。来年になると就活の準備を始めなくてはいけないし、卒業論文にも取り掛からなくちゃいけない。純粋に大学生活を楽しむことができる時間は、もう限られているのだと。
だからきっと自分のペースでいいのだと、思っています。
ー ー ー ー ー
はい。私にとっての一年は、こんな感じですかね。
年末、テレビで「今年1年を一言で」問うインタビューで、年配の女性の方が「忘れたい一年」と答えたのが印象に残っています。
確かにコロナ禍で大学デビューはめちゃめちゃになりましたし、充実した大学生活を送っているとは、残念ながら いまも思えません。
けれども。コロナ禍以前と比べると とてもゆっくりではあるんですけれど……。4年間の一番基礎になる事々を、しっかり築くことができたんじゃないかと僕は思っています。
ゆっくりではあるけれど。確実に前に進むことができた一年だったと、僕は思っています。
We'll be alright.
世界が変わってしまっても。したたかに、そして前向きに生きようとする力が、人間にはきっとあると思っています。
・今年の抱負
今年の抱負は、「この地も開拓し、自分自身も開拓する」です。
昨年は外出の自粛が要請され、この土地の大自然を満喫することが出来ませんでした。僕はまだ この街のことも、その向こうの広い大地も、よく知りません。
新しく後輩も入ってきますし、学び舎も変わって、より専門的なことを勉強します。
挑戦したいこと、目標もあります。
その話しは、また おいおい……。
『互い違いに歩き出した僕の両足は』
『どんな未来のアスファルト踏みしめていくんだろう』
本年も、当ブログをよろしくお願いいたします。