TMの個人ブログ

某文系Q帝大生の個人ブログ。新海作品やその他 諸々について記事を書いています。LAMUさんというお方の新海作品ブログにもお邪魔させて頂いております。

【作品予想の履歴】新海誠監督『天気の子』の次回作についていち早く予想してみた

2021/12/16 記
本記事のタイトルを
【待機所】新海誠監督『天気の子』の次回作についていち早く予想してみた!
 から
【作品予想の履歴】新海誠監督『天気の子』の次回作についていち早く予想してみた
に変更 致しました。

この記事で紹介していますYouTube動画で何度も登場した「終末」という表現。おそらく動画が公開された昨年末から1年が経ち構想も変わったのでしょう。昨日15日の発表会見では「終末」という言葉は一度も出ず、コロナ禍ではなく「閉じること」がテーマであることがわかりました。 内容によっては本記事にて引き続き会見を視ての記事を書き足すつもりでしたが、当記事で予想した物語のテーマとはまた別のテーマの物語であることが分かりましたので、会見の内容まとめと私自身の所見を書いた記事を新しく作成しました。記事はコチラから↓

tmtm.hateblo.jp

ー ー ー ー ー ー ー


皆さんこんにちは。

先月、同じく新海作品について考察していらっしゃるLAMUさんが活動を休止されることになりました。

そこで LAMUさんが活動を再開されるまでの間、当記事をその「待機所」とすることも兼ね 本記事を作成しました。


さて昨年末、新海監督が『天気の子』に次ぐ新作映画について語られたインタビュー動画が公開されました。

まずはこちらの動画を見て頂きたく思います。

youtu.be

前半部分も興味深いものがありますが、本記事の趣旨上、14分44秒のところからご覧ください。

その部分を以下に文字起こししてみました。

新海監督が見る"未来”

Q. 次回の作品もやはり 想像もできないようなことが起こるんでしょうか?

そうですね、まだ言えないことばかりなんですけれども、でもあの、自分の力が及ばないようなとても大きなことが 起きてしまうところから始まる話ですね。

それはでも、その映画を作って自分たち自身が「自分たちも何とか大丈夫なんじゃないか」っていう風に思いたいからっていう気持ちが どこかにあるような気はしますけれどもね。

コロナ禍は巨大な災害ですが、
巨大な災害っていうのは、僕たちが生きてきたこの数十年間でも 何度も繰り返されてきているじゃないですか

コロナ禍にちょうど作っている映画なわけですけれども
何か世の中が大きく終わってしまうような
変わってしまうような 出来事があったとしても

その先で何とかして生き続けていく
変わってしまった世界で それでもこう、少しでも健やかに生きていく

ですから…
終末のその先で展開されるような映画を 作りたいと今は思っていますね

「何かが終わっちゃう 何とかして 食い止めなければ」 という映画ではなくて
そんなふうに変わってしまった世界の中でじゃあどんな冒険があるんだろうとか
どんなふうに人と想いを通わせることができるんだろうとか
どんなふうに変わってしまったショックを 自分は生きていくうえで乗り越えることができるんだろうとか
そんな風にその終末の後に僕たちが向き合わなければ いけないことを描くような映画を作りたいと今は思っています

その…大変、示唆に富んでいますよね。

聞き手の方の相槌が私たちの心情を代弁してくださっていると言いますか。お言葉を聞きながら、本当に色々なことを考えてしまいます。


さて、私が気になったのが「終末の先」という表現です。

そもそも、終末というのは「終わり」という意味です。それに先がある、未来があるというのは、僕にとっては些か違和感があるように思えたのです。ここでいう終末とは、「終わりそう」という意味合いで捉えるべきなのかと思いもしました。

また、次回作の構想がコロナ禍を受けたものであることは明らかですが…。そうだとすると、コロナ禍を「終末」と例えたことにも違和感を覚えてしまいます。

陰謀論的なものを信じない限り、コロナで人類が滅亡するなど思わないはずです。と言うかそう思いたい。コロナに負けないと。いつの日か、大勢の人で賑わう日が来るのだと。誰もがそう信じて、様々な制約のある生活を強いられているわけです。

そういう意味で、僕はコロナ禍は「終末」ではなく人類の「危機」だとは思います。この危機を乗り越え、できる限りコロナ禍以前の生活に近づけるのだと。

もちろん、コロナ禍と終末という表現とは関係がないかもしれません。ただ単に次回作が終末を描くものなのかもしれません。(それはそれで次回作のヒントになるのですが)

ただ、監督から一度も「危機」という言葉がなく、「終末」という末法思想のような言葉でまとめられていたのは、何か意図があるようにも感じられ、次回作を予想する上でもヒントになるような気がするのです。


そこで皆さんに問います。

「終末の先」で何が描かれるのでしょう?


ディスカッションテーマ

・「終末の先」って何だろう?


一応 僕の方でテーマを決めさせて頂きましたが、「終末」と「その先」についてなら何でもよいです。

これを当面の間、テーマとしたいと思います。
もちろん自由参加型です。様々なご意見お待ちしております。



ではその他 私なりの予想や所見を以下に述べていきたいと思います。


・新作映画は『天気の子』の答え合わせになり得るのか

一昨年『天気の子』が公開された頃。「『天気の子』は『君の名は。』の「答え合わせ」である」、という表現を僕は聞いたことがあります。その解釈としては様々なものがあると思いますが…、僕は、『君の名は。』が"偶然"大ヒットしたことで一躍有名になった新海監督が、プレッシャーのある中でも次の作品をヒットさせ、そのヒットが偶然ではなく実力によるものであることを示した、という風に思っています。(正直僕はヒットだとか興行収入だとかよりも作品の素晴らしさを重視したいのですが、主にマスコミがそうした評価を好むのでそのような解釈にしています)

それで、この新作映画は『天気の子』の「答え合わせ」になるのではないかと僕は思うのです。

すなわち『天気の子』が示した、「大丈夫」の答えが描かれるのではないかと。(インタビューでも「大丈夫」の言葉が登場していましたね。)

「終末の先」を描くとは、「大丈夫」を描くことなのでしょうか?



・『天気の子』と似て非なる点

そういうわけで先ほどのインタビューを聞く限りでも、物語の展開的にはまるで『天気の子』と同じようなものになりそうな気もしますよね。降り止まない雨だって、十分「自分の力が及ばないようなとても大きなこと」じゃないですか。

でも『天気の子』における災禍…、降り止まない雨は、東京を中心とした極めて局地的なものでした。しかしコロナ禍はご存知の通り、世界規模での災禍です。すなわち「災禍のスケール」が全然違うわけです。

君の名は。』の大ヒット、更にそれに続く『天気の子』の海外上映によって、新海作品は今や世界的にも有名になりました。

ハリウッドでのアカデミー賞受賞を目標とする新海監督にとって、この「世界規模の災禍」を描くであろう新作映画は、目標を見据えた挑戦への大きな一歩となるのではないかと私は思っています。
news.tv-asahi.co.jp


もしかすると大成建設のCMのように…。新作映画では異国情緒あふれるカットも多数出てくるかもしれませんね。

youtu.be



・巨大な災害とはいったい何?

新作映画でキー設定となっている「自分の力が及ばないようなとても大きなこと」って、一体どんなことなんでしょう?
先ほど私が予想したように、世界規模の災禍なのでしょうか?

もしそうだとすると、以下の記事に示されているものの中から、ある程度は予想できるかもしれません。
www.technologyreview.jp

こうやって見ていくと、『天気の子』の降り止まない雨や、『君の名は。』の彗星落下など、割ともう既に当てはまるものもありますね(笑)

私はこの「巨大な災禍」に、またオカルト的な何かの説を絡めるのではないかと思います。
核戦争とかだと映画が思いっきり政治味を帯びてしまいますからね。オカルトやファンタジーの要素も含めることで、映画が政治味を帯び過ぎないよう調整することができます。これは『天気の子』や『君の名は。』のときもそうでしたよね。

皆さんもぜひ予想されてみてはいかがでしょうか。



・新作では『天気の子』のキャラクターが登場?

これまで新海監督は、古参のファンの方々に向け、新作映画に自身の過去作のキャラクターを登場させる「サービス」を行っていました。『君の名は。』では前作『言の葉の庭』の雪野百香里、『天気の子』では宮水三葉立花瀧らなど、前作『君の名は。』のキャラクターが多数登場しました。同様に、新作映画でも「サービス」を盛り込まれるのだとしたら、帆高や陽菜が登場することも大いに考えられます。

特に選択によって「セカイ」を変えた帆高の登場の仕方や立ち位置は非常に気になるところがあります。



はい、以上新作映画について予想してみました。いかがでしたでしょうか。

やはりこうやって内容を予想するのはワクワクしてくると言いますか、新作映画の公開が楽しみになってきますよね。


ディスカッションテーマほか本稿をご覧になって思ったこと考えられたこと、何でも構いません。コメントお待ちしております。

それでは次の記事でお会いしましょう。