TMの個人ブログ

某文系Q帝大生の個人ブログ。新海作品やその他 諸々について記事を書いています。LAMUさんというお方の新海作品ブログにもお邪魔させて頂いております。

貴樹はなぜ、メールを打つのか?

【2019.12/31追記・LAMUさんのブログからお越しくださった方へ

皆さま、はじめまして。TM と申します✨😃❗
この度は本ブログに興味をもっていただき、まことにありがとうございます🙏。本記事『貴樹はなぜ、メールを打つのか?』は、前回の記事である『明里はなぜ手紙を渡さなかったのか?』の続編になります。そのため、前回の記事を先に読むことで本記事の内容が格段に理解しやすくなっております。前回の記事をご覧になっていない方は、まず先にそちらをぜひご覧くださいませ。
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感想等ございましたら、お気軽にコメントしてくださいませ。
👇あわせて読みたい🎶🌞☔
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皆さんこんにちは!👋😃

これより前の3つの記事を読まれてない方は、必ずそちらの方をご覧になってから、この記事を読んでください。

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それでは考察に入りましょう。

今回の考察テーマは、「貴樹はなぜ、メールを打つのか」です。高校生の貴樹はこの時期「不思議な夢」を見るようになっており、それを記録するためにメールを書いていることが劇中で明らかにされているので、「なぜメールを打つのか」と言えば、「夢で見たものを記録するため」と答えることができるでしょう。これは誰にでも分かりますね。しかし!この先が難解なのです。ではなぜ、「夢で見たものを記録するのか」と問われれば…、貴樹は「自分でも分からない」と言うのです。p222をご覧ください!

p 222
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小説中にはp 222の他にも、貴樹がメールを打つ描写が散見されます。それらをまとめたものもご覧ください。

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実のことを言いますと、これが現代文式考察法の限界です(むしろ逆に、「答えは書いてないよ~」と明示されていただけよかったです)。前回の最後に、この問題は難解だと言いましたが、それは本文中に解答の根拠となる部分が書かれていないからなのです。(ですから、もしこの小説が現代文の本文として取り上げられたとしても、この考察テーマが設問として組まれることはありません)じゃあ、どうするのか…。

(余談)
ちなみに、グーグルで検索するとトップに表示されるこちらのブログ(https://blog.goo.ne.jp/keroppy_2011/e/26729a84be4b9dd342aeda812c01b38a)の「疑問その6」では、「何故、貴樹は送る宛のないメールを書く癖がついたのか?」と「何故、手紙が途切れてしまったのだろうか?」の2つの疑問が呈示されていますが、その回答となる「疑問その6について」では「何故、手紙が途切れてしまったのだろうか?」の答えしか考えが示されていません。きっとブロガーさんは無意識にも忘れてしまったのでしょうが、これはこの問題が難解であることの証拠と言えるのではないでしょうか。(余談終)

私TM は、本当に困り果ててしまいました。しかし、私はめげません。もう一度、「夢で見たものを記録する」とはどういうことなのかをじっくり考えて、わずかな手がかりでもつかもうとしました(これは、「傍線部(設問)の分析」という行為と似たことを行っています)。ここでの重要ポイントは「」と「記録すること」。この2点について、私なりに考えを膨らまし、フローチャート(概念図)を描いてみました。ご覧ください。

フローチャート
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ではフローチャート中の①から④までを、順を追って説明していきますね。

(!)解答を作成するにあたって、「夢」についてよりかはメールを「記録すること」に重きをかけるべきだと思ったので、①については割愛させていただきます。

・②について

では、②について説明していきます。
夢で重要なのは、貴樹は誰か分からない少女と一緒にいること。

このメールを打つ行為は、手紙でのやり取りの延長線上にあるものだと考えました。すなわち、あのメールは「宛先のない手紙」なのだと。

宛先がない、というのは、本文中の貴樹自身が、誰のために書いているのか分かっていないということを表しています。

しかし我々読者にとっては、その送信先は明里であると推測できますよね。でも、貴樹本人は分からない。…ここにどうしようもない重大な乖離が生じているのが分かりますよね。これをどのように扱えばよいか、私はとても迷いました。現代文式に扱うのならば、あくまで「本文に忠実に」ですから、「貴樹本人には分からないが、」って書くべきなのでしょうけど、我々には明里だと分かっていますし。…私は無理やりにでも明里を明示した方が良いと判断したので、最終的な解答では「潜在意識下」というワードを使いましたが…。これが良いのか悪いのか、私には判断しかねます…。皆さんはどう思いますか?

・③について

次に③「メモ帳ではなく、なぜメールにした?」について説明します。そう、夢で見たものを記録するのならば、メモ帳なりダイアリー帳なりにでも書けばいいわけです。しかし制作側は、貴樹にケータイを使わせた。これは…、確かに若者らしさを出すためというのもあるでしょうが、それとともに、「消す」という行為に意味を持たせたかったからだと、私は推測します。

ではなぜ、貴樹はせっかく書き進めたメールを消去してしまうのか。これは答えと思われる箇所が本文中(p222)にあり、①無意味だと感じており夢で見たものを少しも言葉にすることができないから、と考えることができます。これを解答に使っていきましょう。

・④について

最後に④「手紙の延長線上」について説明しますが…(もちろんこの場合の手紙というのは、明里との手紙のやり取りを意味します)。まずはその前に、小説 p151をご覧ください。

p 151
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私がこのように考えたのは、3つ理由があります。1つ目は貴樹はこのメールが「超自然的な回路を伝わって、どこかに送られることを期待している」(p205)ということ。これは、まだ明里との手紙が続いていた頃の描写中にある「ぼくとアカリは今でも、ある特別な回路を通して、つながっているーーそう思いこむために、ぼくらは多大な労力をペンに費やした」(p151)という表現と対応していますね。

2つ目は、「夢で見たものを少しも写しとれない」(p222)ということ。これは「言葉に表すことができない」こと(「言葉にできないことを、無理に言葉にするのは、もとあった輝きを損なわせ、おとしめることでしかない」p 152、前回記事を参照)の表現だといえるでしょう。これは③だけでなく、前回の記事内容とも重なってきますね。

3つ目が、「書かないわけにはいかない、書いて、消し去らないわけにはいかない」(p222)と述べていること。これも、明里との手紙が続いていた頃の描写中にある「まるで競争じみた切迫感が、ぼくを支配して、ひたすら、たくさんの文字を連ねた」や「ぼくらは、つながりを維持したくて必死だったのだ」(p151)と重なるものがありますね。

しかし、貴樹がメールを打っている様子には、「必死さ」も「切迫感」も感じられません。ではこのときの貴樹の様子を表す適切な言葉はあるだろうか…?と考えて四苦八苦した結果思いついたのが、「中毒」という言葉でした(これはあくまで貴樹の様子を表すのに似た表現を探しているのであって、貴樹を「ケータイ中毒(依存症)」と断言しているのではありません)。これは先ほど述べた「書かずにはいられない、消さずにはいられない」と貴樹が言っていたことからの発想です。かつて明里と手紙をやり取りしていたとき、貴樹は日常でも取るに足らないことを書いていたので、その時の感覚(クセ)が甦っているのかもしれないとも考えました。ついでに言いますと「手紙が途絶えた今、それ(メール)を送る相手がいないから消去する」のか?、とも考えました。(これは③についても重なってきますね。)

少し話が長くなりましたが、「中毒」の辞書的意味を調べてみますと、明鏡国語辞典第2版・新明解国語辞典第7版には「薬物・毒物・毒素などが生体内に入って機能障害を起こすこと」とありますが、広辞苑第6版に私が求めていた意味がありました。「身近にあることに慣れすぎて、無感覚になること」これは貴樹の様子を表すのにピッタリな言葉だと思いませんか?つまり、貴樹はメールを打つ行為が習慣化して、無意識にケータイをいじるようになったのではないかと、私は思うのです。

以上のことを踏まえて、下書きを作ってみました。ご覧ください。それぞれの部分が、下書きの画像のどこの部分と対応しているか、見比べてみてください。

最終的な解答

最終的な解答は以下のようになります。

貴樹は夢で見たものをメールに記録しようとするが、書き進めるうちに、見たものを少しも写しとれないもどかしさに嫌気がさして消去するが、その操作には潜在意識下においてメールが超自然的な回路を通じて明里のもとへ送られることを期待する気持ちが込められているため、無意味だと分かっていながらもやめることができなかったから。

しかし…、私としては、貴樹本人では分からない「潜在意識下」のことを具体化して書いてよかったのかや、「行為が習慣化して、無意識にケータイをいじるようになった」ことを盛り込むべきだったのかなど、自分の作った解答を完璧なものとして提示できない、大きな不安があります。

「ここはこうした方が良いんじゃないか」などの意見があれば、遠慮なくコメントをお寄せください! 感想、お待ちしております!🌠

疑問が浮かんだ方へ

ちなみに、「もし貴樹がケータイをいじる『中毒』のような状態になっていたのならば、なぜ東京に移り住んだ後ではいじらなくなったのか」という疑問を浮かべた方もいらっしゃるかと思います。それに対する解答としては…、貴樹の夢の世界は、島がモデルになっているのですよね。つまり島から出た後は、その風景に関する記憶が、島にいた時よりもかなり薄くなるため、やがて夢を見なくなり、ケータイをいじることもなくなった、と私は考えています。また、「ここ(島)を離れなければならない、そうするしかない」という想いが達成されたから、というのもあるでしょう。

以上になります。お疲れ様でした。👋😃💦